08/05/2014 性善説と性悪説 間違った解釈
友「せいぜんせつって何?」
急にそんな事を聞いてきた友達が居ました。
どうやら映画でそういう言葉が出てきたらしく
それがふと気になったらしく、私に聞いてきたらしいのです。
ゼロ「うーん。」
ゼロ「人は生まれながらにして善行する生き物だ、とかそんなのだったと思う。」
友「へー、なんかうさんくせぇな」
ゼロ「逆の性悪説ってのもあったと思うよ。」
友「へー。」
そうして、その日はそれだけだったのですが。
自分の発言に自信が持てない(*´ω`*)
私といえば!
無駄な語彙力と広く浅い知識!
ゼロ「目の前の便利な箱で調べよう(´・ω・`)」
・性善説
性善説(せいぜんせつ)とは
人間の本性は基本的に善であるとする倫理学・道徳学説、特に儒教主流派の中心概念。
人の本性に関する考察は古今東西行われてきたが、「性善説」ということばは儒家のひとり孟子に由来する。
「性」とは、人の本性やものの本質のこと。
字書的にいえば、「性」という字は生まれながらの心という意味である。
甲骨文及び金石文には登場しないことから、比較的新たにできた字であることが分かっている。
孔子も「性相近し、習相遠し」(『論語』陽貨)と述べて「性」に言及しているが、
それが積極的に論じられるようになるのは孟子の時代以降である。
「性」についての概念は論者によって大きく異なり、そのことでかえって議論が紛糾したと言ってよい。
先天的な本性とする説、後天的に獲得される諸能力とする説、道徳的ものを含む含まない等、多岐に渡る。
「性」に関する議論を「性論」という。
また「性」についての説を「性説」という。
中国における「性論」の特徴の一つとして挙げられるものに、それが善悪をめぐってなされたということがある。
中国では「人とは何か」といった抽象的なテーマは取り上げられず、より具体的に政治意識との関連で語られた。
政治と道徳とをどう結びつけるのか、
もっと言えば政治権力をもった支配者の行動を如何に道徳的に規定するかということに関心が集中したのである。
なお、今日「性善説」という言葉は
「人は本質として善であるため、放っておいても悪を行わないとする楽天主義」
という意味で用いられることが少なくないが、本来は正しくない。
以下に解説するように、孟子も朱子も、
人の「性」は善であっても放っておけば悪を行うようになってしまうため、
「聖人の教え」や「礼」などによることが必要であると説いている。
引用:wikipediaより
ゼロ「ふーん・・・(´・ω・`)」
ゼロ「ってwwww」
ゼロ「完全に間違ってるの教えてるwwwwww」
×ゼロが間違った解釈をしていた性善説!×
人は生まれながらに善行をする生物である。
◎正しい性善説◎
人の本質は「善」をする生物であるが、成長していく過程で悪行を覚えてしまう。
↓
結果的に「聖人の教え」や「礼」などによることが必要であると説いている。
×ゼロが間違った解釈をしていた性悪説×
人は生まれながらに悪行をする生物である。
◎正しい性悪説◎
人の本質は「悪」である。
※ただし、ここでの悪は悪いという意味合いではなく「弱い」という意味合いである。
悪=罪ではない。
↓
人は生まれながらに弱い生き物で、欲望的な生き物であるが
生きていく過程で努力を知り、善行を覚えていくという説。
一つ賢くなりましたv(´・ω・`)v
はぁ~。
私が思っていたような単純な事ではなかったんですね(´・ω・`)
性善説は先天的には人は善であり、後天的に悪を学んでいくというもので
性悪説は先天的には人は悪であり、後天的に善を学んでいくというものなんですね。
どっちも正しいように思えてくる不思議wwwwwwww
でも、そういう意味合いなら私は性悪説の方が好きかな(´・ω・`)
どんな人でも善い方に、変われるんだって思えますもんね(´・ω・`)
あっ、ちなみに友人にもしっかり正しい方を教えました(´・ω・`)!
全く興味無さそうに、「お前って真面目だよな」って言われましたけどね(´・ω・`)!
ほんとにこういうこともインターネットで簡単にお勉強できちゃうので
便利な時代になったもんですねぇ( ´艸`)
そんな感じで今日のところはこの辺でヾ(*・ω・)ノ
trombe
「人は誰でも善と悪二つの心を持っているのですよ」ってあってそれが当たり前なんだーって思ってましたよー。なんせどんな人でもそれが当てはまってましたからw
元々は善だけだっんですねー。
勉強になりましたー。
元々は善だけだっんですねー。
勉強になりましたー。
2014/08/05 Tue URL [ Edit ]
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